運営者情報とMasupi Blogの想い理念

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運営者(Tsubasa)の紹介

ざっくりこんな感じです!

ここからは看護学生になるまでの過程を
少し深掘りして書いていこうと思います。

小学校〜高校までは野球に没頭

野球を小学校3年生から高校3年生まで続ける。

小学校3年生から始めた野球は、
中学校まで試合に出場することができましたが、
高校で甲子園に行くことを目指して
私立高校に進学した際に
初めて大好きだった野球で挫折を味わいました。

僕が行った高校の野球部は
3学年合わせると80人弱もいました。

単純に考えると1つのポジションに
約10人ライバルがいる状況です。

僕の同級生の半分は特待生でした。
僕は特待生ではなく自ら志して高校を選んだので、
周りは実力のある人ばかりでした。

Tsubasa

「大丈夫か3年間」って入学してすぐに思ったよね。

入部から半年は、
まともに試合出場の機会もなく
練習に明け暮れる毎日でした。

部活の休みはなく、毎日グラウンドで野球漬け。

2つ上の先輩が引退して徐々に
1つ上の学年に同級生が試合へ出られる中、
結果も出せずチャンスは少なかった。
そんな状況で2年生になったある日のことでした。

いつもの様に練習前のアップで
短距離ダッシュを終えた瞬間に

“ピキッ”

腰に激痛が走り、
歩くことすらできない痛みを体験しました。

元々腰が痛かったので、
すぐに治るだろうと思っていました。
ですが、腰の痛みは1週間経っても治らず
洗顔する時に腰を曲げることもできない
激痛が常に走っていました。

病院を受診すると
“第4・5腰椎分離症”
の診断を受けて全治3ヶ月。

1つ上の学年と野球ができる時間
全てを腰の怪我で奪われてしまいました。

大好きだった先輩たちと
プレーできなくなってしまったんです。

Tsubasa

治すために6万円のコルセットしてたね。

先輩が引退後は
“先輩の分も野球を頑張ろう”

そんな気持ちで治療を続けましたが
結局、医師からは、「腰の怪我は完治しない」

3ヶ月の安静の末に言われ、
痛み止めやリハビリで騙し騙し野球をやることに。

怪我をした上、特待生の多い同級生の中で試合に出るためには、
人よりも多く練習する以外の選択肢がありませんでした。

たまたま、自宅から通う道のりが同じだった
同級生の特待生に「一緒に朝練習しない?」
そう誘われて、毎日、朝練習することを決めました。

学校では、7:30から練習することを
許されていましたが、
同級生ともっと練習するために
6:30から練習をすることに。

「試合に出るためには、
野球以外も頑張らなければいけない。
授業も寝るな。真剣に学業もやれ。」

部活の方針で、
毎日の疲労に加えて、朝早い僕は
授業で起きるのに必死の毎日。

Tsubasa

本当に授業中眠たかった!!!

練習の成果も朝練習を6:30から始めるために
始発の5:40分の電車で向かう生活を続けると
結果も少しづつ出てくるようにになりました。

毎朝5:00前に起きる生活を続けていると
努力している事を監督・コーチが耳にする様になり
試合に出る機会を頂きました。

“取れなかったボールがキャッチできた”
“打球が鋭く打てる様になった”

こんな体験をすることがが少しずつ増え、
高校野球最後の夏の大会を1ヶ月前にした頃
初めてAチームの試合に
自分も連れて行ってもらえるようになりました。

実力はなかったし、怪我もあった3年間。

必死の思い出1年弱練習した成果が
最後の最後に報われて、
僕は試合に出られませんでしたが、
最後はベンチに入りでき、高校野球人生に幕を閉じました。

怪我を抱えて苦しんだ経験が理学療法士を目指すことに繋がりました。

理学療法士から一転し看護師を目指す

僕は、自分の腰の怪我をきっかけに
理学療法士を目指しました。

そんな夢が一転したのは
高校の修学旅行がきっかけでした。
その修学旅行では沖縄に行きました。

4泊の日程の中で、見学したひめゆりの塔で
衝撃を受けた事が看護師を志すきっかけになりました。

当時沖縄師範学校と沖縄県立第一高等女学校に通っていた、女学生222名と彼女らの教師18名の総勢240名。

尊い命が、唯一国内で地上戦が繰り広げられた沖縄で、迫りくる米軍の攻撃によって多くの人が命を落としました。

自分がその現場にいた事を想像すると命の大切さを身にしみました。

理学療法士も素敵な仕事だと思いますが、もっと多くの人の役に立ちたい。

そんな思いから看護師を目指す事を決めました。

余命半年の胃がんを宣告された祖父の存在も看護師を志す大きな要因となりました。

何気なく体調不良を訴えっていた高校3年生の冬差し掛かる前のことでした。

母から祖父の診察に付き添って欲しいと言われ、病院に行くと、診察室に入るなりすぐ、ステージ4の胃がんを宣告されました。

正直、その診断を受けられない自分がいました。

胃がんは肝臓まで転移していて、肝臓もうまく働いていないようでした。

肝臓が働かなくなり、肌がどんどん黄色くなって行く祖父はどんどん体調が悪くなりトイレで倒れ緊急入院。

「痛い。痛い。」

最後は痛いと訴えることもできなくなるほど意識が朦朧としていました。74年の人生に幕を閉じていく瞬間を目の当たりにした僕は、

祖父のような人の力になりたい。

祖父の存在が、今の自分の看護学生での生活を突き動動かしています。

看護師を目指すきっかけとなった、沖縄で訪れた”ひめゆりの塔”と”祖父の存在”を忘れずに残り1年間の学生生活を頑張っていこうと思います。

看護学生お助けサイトの想い・理念

ブログを解説した理由

このブログは
”看護学生になる前から
看護師になる過程全てで役に立てるサイト”
を作ることが目標です。

看護学生をお助けできる記事を
メインで書いています。

看護の事で抱えている悩みを解決し、

“もう少し頑張ってみよう”と

僕や皆さん、一緒に頑張っている方へ
役立つ知識や役立つ考え方
お届けするブログになっています。

このブログを開設した理由は、
看護学生としての知恵や知識を
発信している情報が少ないと感じたからです。

自分が看護のことでインターネットを使って

”悩みを解決したくてもできない”
こんな想いを抱いた事がブログを解説した
大きな理由になっています。

Masupi Blog(当サイト)の運営方針

当サイトの運営方針は以下の3つです。

1,自分が経験した事から情報発信をする

企業が出しているサイトは、
ありきたりな情報で溢れています。

ありきたりな情報ではなく
自分が看護学生として経験してきた事で

”もっとこうしておくべきだった”
”あなたには自分のようになって欲しくない”
”あなたにはこうあって欲しい”

自分が経験した事から惜しみなく
情報発信をしていきます。

2,専門的な情報をわかりやすく届ける

看護という専門分野の勉強は
正解がないことも多くあります。

何をするにも根拠が問われて
課題や実習で苦戦することも必ずあります。

自分が経験した専門的な情報をわかりやすく
サイトをご覧になってくださった方に
届ける事を第一に考えた記事を作成していきます。

3,記事を読んでくださった方の声を大切にする

学校によっても記録の書き方は異なりますし
地域によっても就職の方法や考え方は変わってきます。

全ての方に当てはまるコンテンツを
作ることは難しいかもしれませんが、
可能な限り

”全ての看護学生へ役立てる記事”

を目指して読んでくださった方の意見を
大切にしながら1度公開した記事も
再度修正して情報発信をしていきます。

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